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好色博士とネクタイピン



僕はどうやら、また大事なものを失くしてしまったらしい。


それは僕の、そう、あまり飾り気のある方ではない僕が唯一持っている洒落たもの。
いつも羽織っている染みのあるヨレた白衣や、グレーの少しサイズの合わないストレートのパンツ、
なんのことはない普通のシャツに、適当に掴んで買ったネクタイの中で、それはそれは浮いていたことだろう。
僕のお気に入りの、ネクタイピンは。


――なあに、あなたでも、こういうものをつけるのね。
眩いブロンドの女が僕の胸元をつついて悪戯っぽく目を細めていたのを思い出す。
何故こうにも女性との縁が切れないのか、僕自身にもよく分からない。
人付き合いが得意な方ではない。寧ろ、下手だと言った方がいいと僕は考える。
言葉をあれだこれだと選んでいるうちに、ふっと現実に戻ればもうその会話は終わっているし、
研究に打ち込んでいる間の僕はまるで機械のように、簡素な受け答えしかしなくなる。
――喋っているときと、別人みたいね?ルスラン。
僕の顔を覗き込むように顔を近づけて笑った黒髪の女はそういっていた。
大概僕に声をかけてくる女性というのは僕よりも年上で、夫が居たりすることも多かった。
ただ僕は面倒が嫌いなので、断ることも多かったが、それでもやはり声は途絶えなかった。
切るのを怠けて伸びてしまったくすんだ金の髪や、ぱっとしないグリーンの瞳をもつ僕に、
彼女たちは一体何を見ているのだろう?僕には不思議でならないのである。


もぞと、僕の隣で寝ていた赤毛の女がみじろぎをした。もうそろそろ起きるだろうか。
僕は白いシーツから抜け出すと、脱ぎ散らかされた下着や衣服をひょいひょいと避けて通り、
昨日の晩、彼女が僕から遠ざけたバックを拾いあげて、底からポケットの中まで指を這わせる。
そうしたら僕の予想通り、お気に入りのネクタイピンはそこにあったのだ。

我ながら、ひどいやりくちだなあと思う。
彼女たちとそれなりに宜しくやっておきながら、こうして罠を張っている。
大切な女性から貰ったものだよ、と僕は毎度毎夜言っている。
それは本当だ。まだ僕が学生だった頃に付き合っていた女性から貰ったものだった。
丁寧に彫られたアラベスクに、小さくあしらわれた品のいいサファイアは、
そういうことに疎い僕にでも、綺麗なものだなあ、という感想を抱かせる程だった。

ブロンドの彼女も、黒髪の彼女も、今そこで安らかな寝息を立てている赤毛の彼女も。
僕の隙をついて、この美しいネクタイピンをくすねてしまった。
好奇心というやつに女性は弱いのだろうね、と僕は呟いて薄く笑ったが、聞く者はいない。
面白みのない服を拾い上げて、しわも伸ばさずにシャツを着て、ネクタイを結ぶ。
最後にネクタイピンをすっと挿せば、あとはこの部屋を出るだけだ。

結局、どちらが悪かったのか……恐らくは僕だろう。
このネクタイピンを贈ってくれた女性とは別れてしまった。
以来こうやってふらふらと宙ぶらりんな生活を送っている。
ああ……赤毛の彼女には、少し期待をしていたんだけれどなあ。


――まるで僕は、寓話の“青髭”のようだね。
(いつか、僕も彼のように裁かれるのだろうか?)


(一)

 

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