白い陶器製のティーポットから、ロイヤルブルーの花があしらわれたカップへと、
上品に薫るファーストフラッシュの紅茶が、緩やかに湯気をたてながら注がれた。
紅茶の一滴も零すことなく傾いだティーポットを捌く手付きは、流石はその職と言った所だろうか。
食器同士がかち合って立てるはずの耳障りな音も、紅茶を淹れた男の技を以ってすれば難なく消されてしまう。
白い綿製の手袋に、端から端までしわの無い小洒落たスーツを着こなして、執事は主人の傍らに立っていた。
木製のテーブルに掛けられたテーブルクロスは染み一つない純白で、ふちは豪奢なレースで飾られている。
小さく入れられた青薔薇の刺繍が、優雅な午後を過ごす女主人の心を魅了してやまない。
白く透けた肌と、緩くウェーブのかかった長い赤毛――というには少し淡すぎる――を持つ主人は、
「まさか、お楽しみのおやつがこれだけだなんて、言わないでしょうね?」
そう、爪の長い細い指で気怠げに髪をかきあげてみせた。
ついさっきまで髪が邪魔をして注ぐことのなかった、パラソルが和らげた日差しが彼女の顔を照らす。
まだ少女の面影を残した鮮やかな空色の瞳に、小さく細い鼻筋と薄い唇はまるでドールのようだ。
恐らく本人が気にしているであろうそばかすも、彼女に人間らしい愛嬌を添えるようで、よく似合っていた。
「いいえ、まだバートレットのパイを別に用意して御座います」
濡れたような黒髪の執事が愛想良く笑うと、主人は満足気に鼻を鳴らして笑みを浮かべた。
パラソルの外、主人の傍らに立つ執事が二度手を鳴らせば、姿勢の良い給仕によって
覆いの被さった台が恭しく運ばれてきて、覆いと食器の隙間から甘い匂いを存分に振りまいた。
よく熟した梨の薫りを存分に楽しんだ主人は、さあ早く、と無邪気にせかしている。
執事は銀の覆いをこれまた音も無く取り払い、食べ終えた皿と引き換えに主人の目の前へ、
彼女の所望したとおりの、もしくは期待以上の極上の甘いパイを差し出した。
ナイフを持つ細い指や手首からは、きっと誰も想像しないだろう。
華奢な身体には到底入らないと思えるような量が、みるみる内に消えていく。
「とても美味しかったわ」
今日も、彼女はおやつをきれいになくしてみせた。
ストレートの紅茶を行儀よく口に含み、舌で転がしながら余韻に浸る彼女には、お嬢様という言葉が相応しい。
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「私、恋をしてるんじゃないかしら」
いつも通りのティータイム、3時も半を過ぎた頃合はこの季節、少し肌寒い。
そんな折に脈絡もなく主人の口から発せられた言葉に、執事は珍しく目を丸くした。
余程意外だったのか、それとも間抜けな顔に映ったのか、少女は不満そうに頬を赤くする。
仕切りなおそうと執事が咳払いをして、お喋りを続けたそうな主人の言葉の続きを待つ。
――くすんだ金の髪ごしに見る陽、それに緑の瞳が綺麗なのよ。
そう暫くの間、機嫌よく想い人のことを語らった。彼女の言う通り、それは恋をする少女の横顔だった。
時折ふっと執事に恋の経験やら駆け引きの仕方を聞きねだっては、彼に困ったような表情をさせる。
――そうですね、気を引く方法なら幾つか存じております……
それでも律儀に執事は答えて、やはり女主人は満足そうに微笑むのだった。
“きっと、うまくいきますよ、お嬢様……”不器用そうに、執事は繰り返した。
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4時を差す短針とすっかり冷たくなった外気。
いつも通り、赤毛のお嬢様の優雅なお茶会が広げられるはずだった庭。
目元を真っ赤に腫らし、今にも泣き出しそうな顔で好物のベリータルトを目前に、少女は黙っていた。
薄暗い陽で赤みの増した長い赤毛が頬に少し張り付いているが、何か言えば彼女は怒り出すだろう。
かしゃんと銀のナイフとフォークを放り出して、彼女はよろめきながら立ち上がる。
何かを言おうとしたのだろうか、少し口元が緩んだが、涙を止めるためにそれは飲み込まれてしまった。
お嬢様、そう執事が口を開こうとした、その瞬間。
花柄のドレスと赤い髪を翻し、靴のリボンがほどけたのもお構いなしに、彼女は走り去ってしまった。
傍らに立っていた執事と、すっかり冷めたアールグレイ、それにタルトを置き去りにして。
……主人を追うことはなく、執事は残ったタルトと放られた食器を手にしていた。
手袋をした手でナイフと、フォークを拾い上げ、ナプキンで両方を拭った。
恐らくは、屋敷に戻り泣き伏せって暫くは出てこない主人を思いながら、
伏せられたバイオレットの瞳が、沈み行く陽にあてられてゆらゆらと揺れている。
ふと彼は人差し指の、僅かに余った布地を噛むと首を傾いで引っ張り、手袋をはずす。
間接の目立つ長い指が、主人の残した、あまい、あまい、ベリータルトに食い込んだ。
そのまま抉るように真っ赤なベリージャムをすくいあげて、一口。
このどろどろとした甘いジャムが残らないよう、ざらざらとした舌で指を舐めながら、
「はあ、これはなるほど、甘くて旨い」
満足そうに深い紫の瞳を黒ずませて、執事はわらっていた。
――ええ、うまくいきましたとも、お嬢様。
(一)
僕はどうやら、また大事なものを失くしてしまったらしい。
それは僕の、そう、あまり飾り気のある方ではない僕が唯一持っている洒落たもの。
いつも羽織っている染みのあるヨレた白衣や、グレーの少しサイズの合わないストレートのパンツ、
なんのことはない普通のシャツに、適当に掴んで買ったネクタイの中で、それはそれは浮いていたことだろう。
僕のお気に入りの、ネクタイピンは。
――なあに、あなたでも、こういうものをつけるのね。
眩いブロンドの女が僕の胸元をつついて悪戯っぽく目を細めていたのを思い出す。
何故こうにも女性との縁が切れないのか、僕自身にもよく分からない。
人付き合いが得意な方ではない。寧ろ、下手だと言った方がいいと僕は考える。
言葉をあれだこれだと選んでいるうちに、ふっと現実に戻ればもうその会話は終わっているし、
研究に打ち込んでいる間の僕はまるで機械のように、簡素な受け答えしかしなくなる。
――喋っているときと、別人みたいね?ルスラン。
僕の顔を覗き込むように顔を近づけて笑った黒髪の女はそういっていた。
大概僕に声をかけてくる女性というのは僕よりも年上で、夫が居たりすることも多かった。
ただ僕は面倒が嫌いなので、断ることも多かったが、それでもやはり声は途絶えなかった。
切るのを怠けて伸びてしまったくすんだ金の髪や、ぱっとしないグリーンの瞳をもつ僕に、
彼女たちは一体何を見ているのだろう?僕には不思議でならないのである。
もぞと、僕の隣で寝ていた赤毛の女がみじろぎをした。もうそろそろ起きるだろうか。
僕は白いシーツから抜け出すと、脱ぎ散らかされた下着や衣服をひょいひょいと避けて通り、
昨日の晩、彼女が僕から遠ざけたバックを拾いあげて、底からポケットの中まで指を這わせる。
そうしたら僕の予想通り、お気に入りのネクタイピンはそこにあったのだ。
我ながら、ひどいやりくちだなあと思う。
彼女たちとそれなりに宜しくやっておきながら、こうして罠を張っている。
大切な女性から貰ったものだよ、と僕は毎度毎夜言っている。
それは本当だ。まだ僕が学生だった頃に付き合っていた女性から貰ったものだった。
丁寧に彫られたアラベスクに、小さくあしらわれた品のいいサファイアは、
そういうことに疎い僕にでも、綺麗なものだなあ、という感想を抱かせる程だった。
ブロンドの彼女も、黒髪の彼女も、今そこで安らかな寝息を立てている赤毛の彼女も。
僕の隙をついて、この美しいネクタイピンをくすねてしまった。
好奇心というやつに女性は弱いのだろうね、と僕は呟いて薄く笑ったが、聞く者はいない。
面白みのない服を拾い上げて、しわも伸ばさずにシャツを着て、ネクタイを結ぶ。
最後にネクタイピンをすっと挿せば、あとはこの部屋を出るだけだ。
結局、どちらが悪かったのか……恐らくは僕だろう。
このネクタイピンを贈ってくれた女性とは別れてしまった。
以来こうやってふらふらと宙ぶらりんな生活を送っている。
ああ……赤毛の彼女には、少し期待をしていたんだけれどなあ。
――まるで僕は、寓話の“青髭”のようだね。
(いつか、僕も彼のように裁かれるのだろうか?)
(一)