重たげながらよく通る音が街中に響き、鳥たちが一斉に飛びたっていく。
時計台の鐘の音だ。十二時には、三度鳴って、道行く人々総てに時間を知らせている。
――鐘の音を聞きながら、古ぼけたアパートメントの目前。
しっかりとした体躯を持つ、背の高い男がひとり。ぴんと背筋を伸ばして立っていた。
恐らくは誰かを待っているのだろう。正された立て襟、白の正装。それに相応しく引き締められた表情。
陽の光を返す事の無い深い黒髪はきちんと手入れをされて分けられているが、一房だけ左頬に垂れている。
ブルーグレイの色をした目は、苛立ちを漏らすまいとしているのか虚一点だけをただ見据えていた。
二度目の鐘が鳴る。
まだか。と男は目を細めて漏らしたが、その声は鐘の音でほとんど消えてしまった。
二度目の鐘が鳴りやんだ時、腹の奥底から溜めていたであろう息が地を這うようにその口から吐き出された。
ぐっと、その眉間に皺がより、その目は見開かれたのである。
「ガナーヴァジさん! 王都からのお迎えが来ていますよ!」
彼女の声はよく通ったし、とても高い。鳥のような声だ。
ただ難点であるのは、彼女がその声を歌でも歌うかのように伸ばして彼の名を呼ぶときは、
大抵の場合、彼に面倒事を運んでくることである。うむ、更に追加をするとしよう!
彼女の張り上げた声は、鐘の音よりよっぽど寝ぼけた頭の中をぐらぐらと揺らすのである。
ぱちりと、空色の目がまんまるに開かれた。こうしちゃあ居られない!
彼はまず、扉の鍵をきちんと閉めていた自分に感謝をした。
そしてすぐにお気に入りのクッションをひっ捕らえて抱えると、窓へと走り出す。
(きっと彼は、今日こそ、僕が出て行かないのに堪忍ならないといって、この扉を蹴破って入ってくるに違いがない。
ああ、もうすこし、もうすこしでいいから、ゆめのなかにいたかったなあ……)
がつっと、何かを蹴飛ばした気がしたが、まあそんなことは彼にはどうでもよかった。
今はこの場から逃げる事が大事なのだ。暫く触れてすらいなかった木製の戸を強引に押し開けると、
素っ気無いバルコニーへと身を乗り出し、そのまま転げ落ちるみたいに階段へと向かう。
まだ、扉がばんばんと揺れているのを覗いて確認すると、彼はにんまりと笑った。
クッションをしっかりと脇に挟みなおし、寝癖のついた髪を急いで撫で付けながら、彼は一階まで駆け下りた。
このまま何処かの丘にでもいって、寝なおそう。そうすればまた夢が見られるはずだ――
だが、次の瞬間ペトルスの空色の目に映ったものは、一瞬でも彼に世を儚ませるに十分なものだった。
「…やあ、フランチシェク……」
眼前に立ち塞がる見覚えのある厳しい顔に、突きつけられた王都バルバストルへの出向命令書。
三度目の鐘の音の余韻がまだ耳にこびりついているようだ。
悪夢へと落ちるような、眩暈がした。
(一)

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